由緒
宇治橋の上流宇治川の右岸、この辺りは応神天皇の離宮(桐原日桁宮キリハラヒケタノミヤ)の跡でもあり、皇子の菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと) の宮居の跡と伝えられている。応神天皇が稚郎子命を天位に任命するが、稚郎子命は王仁(ワニ)博士から儒教の思想を学んでいたので、兄の大鶴鷯命(オオササギノミコト 後の仁徳天皇)を差し置いて天位に就く事が儒教の思想(長子相続)と違ったため、稚郎子命は天位を兄の大鶴鷯命に譲ったが相譲りあいの後、死をもって節を全うした。後に、兄の仁徳天皇は稚郎子命の宮居に祠を建て神霊を祀ったのが、この神社の始まりである。と記されていました。
宇治神社
朝霧通りより
手水舎
拝殿(桐原殿)
参道より
桐原殿
参集殿
本殿
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